FC2ブログ

Radio Wavelog -Contact Of Personality-

ARTICLE PAGE

ON AIR#864 誰も救えない どんな神様にも救えない

たまには時事ネタ
  • comment0
  • trackback0
・人は残酷。ことが起こってからいろいろと語りだす。
自分もその一人。最低な人間の部類だ。
何故、悪魔に導かれる前に手をさしのべられないのだろう。
救うとか、助けるとか、そういうのすら、エゴだ。
人のために、生きたいという願いが、その人のためになれば、いいのに。

苦しみは序列できるのだろうか?

ごはんを食べられる人の苦しみは、
食べられない人の比ではないと一蹴できる。
でも、ごはんを食べるという
難問を解決しても決して終わらない
人間のその先にある苦しみに挑戦しているとも言える。

苦しみは人と比べてランキングするものではなく、
その人個人の人生のステージの中で、
すでに乗り越えた苦しみであるか、
新たな苦しみであるかを見たい。

新たな苦しみに出くわしている人には、
その大小を問わず、私はそのことに敬意を払いたい。

「命は大切だ」
――普遍の真実をぶつける。

「おとなになれば今の苦しみなんて」
――すでに苦しみを越えてしまった人が
向こう側からものを言う。

普遍の真実も、
対岸からのもの言いも、より不幸な人を思えも、
相手が大事だからこそ、言うのであって、
言う方はほんとうに一生懸命で、
それを考えると切ないのだけれど、
どれも極端に言うと、
「あんた間違っている」につながってしまう。

「命が大切というのは人類普遍の真実だから、
 だから、死のうとするあなたは間違っている」

「おとなになれば、
 もっと不幸な人と比べれば、
 いまのあなたの悩みなどとるにたりない、
 だからそんなことで悩むあなたは間違っている」

相対化されたり、
序列化されたり、
普遍の真実をかざされたり、
おおきなスケールで、
いわば、あらゆる角度から
自分の非を指摘される、
なにより、その上から目線のものいいの根底にひそむ
「あんた、だめじゃないか」
という無意識の優劣構造に、
自分はダメなんだろうかと疑っている人は、
よけい追いつめられていくんじゃないかと思う。

人は、はっきり言われる「おまえはだめだ」より、
相手の言動から無意識に感じとれてしまう、
「おまえはだめだ」のほうに、深く傷つく。

心の根っこで
相手を尊重してないととどかない言葉がある。

その尊重感をどこからどうもってくるか?
どう伝えるか?

死を思いとどまらせる言葉、
非常に難問だけれども、
現時点での自己ベストの方針を打ち出すべく
次週も、ひきつづき考えてみたい。

あなた自身が、ほんとうにつらかったとき、
言われてうれしかったのは、
だれの、どんな言葉ですか?
(ほぼ日刊イトイ新聞 山田ズーニー『おとなの小論文教室。 L325 死を思いとどまらせる言葉1』より)
スポンサーサイト



Comments 0

Leave a reply