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ON AIR#587 ~河童(1994)~

映画
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一部、内容に触れている箇所があります。

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米米CLUBのボーカリスト、石井竜也が監督を務めたことで有名な作品。この映画の一部スタッフが、後に「HINOKIO ヒノキオ」という作品などで頭角を現すようになる。

戦場を撮って名声を得た写真家・鈴森勇太の幼少時代にあった出来事を、現代のシーンと織り交ぜて脚本は進められている。それが本当なのかどうかは、クライマックスで描かれるが、その幼少時代は、現在の彼とはまったく違う、極めて静かで、平和な世界に生きていた。
勇太の父は村の駐在だが、その生き方は村の男たちとはかけ離れていて、馬鹿にされており、信頼はない。
勇太は祖父の「河童」の話を受け、河童の住むと言われる天神沼に、だんだん興味を示すことになるのだが……。

展開がやや強引であり、状況的に無理のあるシーンもある。それをコメディとして描く風もないので少々呆気にとられるが、村の気風と、勇太の家族があまり合っていないことを描く演出の作為であると捉えていればなんのこともなく見られる。異業種監督でありながら、序盤から見せるフラッシュバックの演出は、なんとも印象的な、現実への畏れを描いている。

この映画が伝えんとするメッセージ、描こうとしていた主人公たち人間の姿は、明確に人の心を衝く。現代のシーンで勇太が言う、「人間の狂気」という表現に、私ははっとさせられる。そう、過去のシーンでも、人間の高まる狂気によって、勇太たちの友情や、親子の絆は押しつぶされ殺されていったのである。勇太は村人の狂気によって、自分だけが知っている大切な友達の話を、祖父にも、父である駐在にも、ついに話すことはできなかったのである。
その狂気の中でできた悔恨から、彼は戦場カメラマンとなる。何度も言うが、人間の狂気を撮るために。人間の汚いエゴをそのシャッターで切り取るために。
だが、それすらも、戦場の子供には偽善であり、エゴであった。勇太の個展でメインに飾られているのは、カメラを憎しみに満ちた目で見つめた写真であり、その子が勇太を撃ち、瀕死の重傷を負わせたことを、フラッシュバックは語る。勇太も大人になることで、村人の中のような人間たちの一人に、知らず知らずなってしまっていたのかもしれない。

なんという哀しい、哀しい物語なのだろう。

そして、現代のシーンで、勇太の故郷が迎えた現実もまた、切ない。彼の生きた記憶の元すらも、もはや消えうせようとしている。その中で起こるたった一つの、哀しすぎる奇跡に、私はもう何も反抗することができなかった。この奇跡を、どう批判しろというのだろう。

この映画、子供の頃に観て、ずいぶん感動した記憶がある。
しかし、「河童」は、DVD化されてはおらず、その後、監督の石井竜也が、「ACRI」などを出したにも関わらず、興行上の理由か、映画業をストップしたことにより、今は、レンタルビデオ店でひっそりと出ている程度の作品になっている。
しかし、こうして今、実際に観ると、改めてその世界観に圧倒される。現在の日本映画に決して負けてはいない。決して高予算ではなかったはずだが、まったく嘘くさくないセットに、彼らが映画にかけていた熱を感じられる。むしろ、乱発されるだけで、(観る側も作る側も)質が落ちてしまった現代の日本映画に比べたら、かなりの大作なのではないだろうか。
熱意が、大作ファンタジーを作った。子供向けでもあり、大人向けでもある作品だが、それを語ることがもはや野暮に感じられるくらいの、隠れた名作だと私は思っている。
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