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ON AIR#572 ~夕凪の街 桜の国(2007)~

映画
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「半落ち」であまりにも有名な佐々部清監督の最新作。
ヒロシマの原爆を他とは違った視点から見つめる社会派の映画だ。

多くの雑誌やテレビなどによる情報からも分かるとおり、この作品は、「夕凪の街」と「桜の国」という二つの物語によって構成されている。前者は原爆投下から13年後の広島を舞台、校舎は現代の広島を舞台として物語は進む。

「夕凪の街」では、原爆によって家族を失い、遺されてしまった者の寂しさ、そして、その後やってくる原爆症という第二の苦しみがやってくる。映画は、原爆そのもので命を失う悲しさだけではなく、生き残った者たちにも確実に、生きるより苦しい被害が待ち受けている恐怖を突きつけてくる。
「桜の国」では、「夕凪の街」の主人公の弟の子供が主人公で、主人公は、ひょんなことから父親の過去を探ることになる。そして彼女の祖母、そして母親もまた、死亡している。しかしそれが本当に原爆によるものだったのかは、彼女には分からずじまいだった。

脚本としては、全編にナレーションが多い。「夕凪の街」はまだ許せるレベルだが、特に「桜の国」ではそれが顕著に出ていて、脚本の甘さが随所に出ている。父親の過去を探るにしても、どうして父親の過去を自分の目で見てしまう不思議な映像になるのかの状況説明がなく、これではあまりにも不自然だ。

ピカの恐怖を、佐々部らしい映像で描く姿勢は分かるのだが、それでもこういう映画を作るのであれば、やはり核兵器に対する断固とした反抗を見せるべきでありながら、「夕凪の街」では、そのシーンがあまりにも短く、ナレーションと小道具だけで語ってしまっている。そして原爆の恐怖が今も続くと言うべき「桜の国」でも、回想という安直な説明で終わらせてしまっているのが実に残念である。必要性の感じられないシーンや登場人物に、物語の軸がずれてしまっているのもその原因の一つだろう。

原爆症という問題は、映画でも語られているとおり、現在も続く問題である。最近では原爆症認定をめぐっての裁判が行われ、原告側が勝利をしながらも国が控訴し、また新たな争いが続く。この間にも、原爆の恐怖を実際に経験した方たちは少しずつ亡くなられていく。自国の歴史における被害を被害として認めない国の無関心さを責める人は多くいる。TBSのある番組でも特集され、実際に核を経験してはいないが、私の祖父や祖父母もその中の人間であった。

本作はそういう現実的なドキュメントというわけではないが、今村昌平の「黒い雨」がそうであったように、映画で伝えるべき原爆のテーマはまだ、必ず、あるはずである。だが、本作にはそれがほとんど伝わってこない。どこかの国の首相もそうだが、声高に何かを語ろうとしても、その説明のしかたがあまりにも下手であれば、誰もついては来ない。
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