FC2ブログ

Radio Wavelog -Contact Of Personality-

ARTICLE PAGE

ON AIR#518 ~ブラック・ジャックをキッカケに、マンガことなど~

書籍
  • comment0
  • trackback0
久しぶりに「ブラック・ジャック」を読んだ。
この漫画、短いぶん、手塚先生の巧みなプロットを勉強しやすくて好きだ。

今回読んだのは単行本の6巻なのだけれど、その最後に、「水頭症」という、他よりも少し長めの話がある。
病室の人気者で、芸人を目指しているが、水頭症(一般には脳水腫)という病のためにあと、一、二年で命を落とすであろう男の子がいて、その男の子の治療のためにブラック・ジャック(以後BJ)が治療法を考える話だ。

印象的なのは、男の子に対し、BJが、「君には手術をする意志があるか」と訊ねる場面だ。男の子は脳水腫が直るのと引き換えに、脳のバランスが変わって精神の発育に障害をきたすというリスクを追っている。男の子は精神の発育を恐れず、それよりも、親に迷惑をかけてしまうことを心配し、それならば自分はたとえ早死にしても一生芸人として勤めようというプライドを持って、手術を拒否する。

しかしBJはその夜、苦悩する。
「おれという人間は死を目の前にしてあきらめきって笑っている病人をみると腹が立ってくるんだ!」と。

そしてBJはピノコの何気ない一言からヒントを得て新しい術式を思いつくのだが、そこからの展開が、人の命に対する価値観を刺激する。
命をかけて患者を治す医者が高い報酬をもらって何が悪いのか?
だが、報酬がもらえなければ男の子の命を見捨てるのか?

この物語は最後、意外な展開(しかも絶妙に伏線を使った、個人的には見事と言う他ない)を見せてラストシーンに行くだが、「ブラック・ジャック」の物語の中でもかなり自分の生き方を考えさせられるきっかけとなった。

自分自身の思想やプライドを優先して死を選ぶのは果たして是なのか非なのか。
よくある映画やテレビドラマであれば、そちらの方が美しいのだろうし、実際にそういう物語を目にして泣いたこともある。
だが、BJは、無様でも「生きる」ということにこだわる。そこが「ブラック・ジャック」を読んでいて常に自問自答する理由だ。

僕は最近、自分を犠牲にして何かを守るという考えを、決して一概にいいとは思えなくなった。昔は、最後までアスリートとして燃え尽きた、矢吹丈や星飛雄馬などに憧れを抱いていた。ロミオとジュリエットが名作なのと一緒で、そこには自己犠牲という美しさがあるから。

だが、果たしてそれが一番正しいのか、今の僕にはよく分からない。むしろ、カッコ悪かろうが、生き抜くことで、その先にどんなことがあろうと、誰かのためになるのではないか、と考えることがある。マンガで言えば、シティー・ハンターの冴羽。自分を犠牲にして香を守るより、生き抜いて香を悲しませない道を選んだ男。

正しい道がどちらかはその人自身が決めることだが、「水頭症」に出てきた男の子がそうであったように、人は「生きる」ということ、それだけで、誰かに笑顔を与えることができのだから、そう簡単に死を選んではいけないのだ、と思う。僕個人の考えなのだけれど。
くだらなかろうが辛かろうが、「生きる」ってやっぱり本当に奇跡なんだよ。

話のラスト近くで、男の子が涙をぼろぼろと流すシーンは必見である。今まで明るくふるまってきた彼が、唯一、生と死の重さの前に立ち尽くす瞬間だからだ。

つい長く語ってしまいました。つまりは、手塚先生の「ブラック・ジャック」は凄いってことが言いたかっただけなのです。
スポンサーサイト



Comments 0

Leave a reply