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ON AIR#4652 “海峡(1982)”

映画
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20歳のとき、新潟でSMAPのコンサートのバラシ(撤収)の仕事をしたことがある。
僕はもういまとは違ってヒョロガリの50キロのメガネ野郎、
そんでグッド○ィルから派遣されたカネだけ楽して稼ぎたいバカな学生でしかなかった。
朝の9時から12時間待機して、コンサートが終ってから一気にバラすわけ。
バラシの実働はたった3時間だったが、
本業のオジサン、オネエサンたちにひたすらこき使われ、ああだこうだと馬鹿にされ、マウントをとられ、
しまいにはめっちゃでっかい鉄板の下敷きになり、しかし誰も助けてはくれず自力で脱出し、
24時になった途端に逃げるように仕事を上がって、大宮まで帰った。
思えばあの鉄板の上にキムタクが立っていたかもしれない。僕は下敷きになったけど。

ヤクシャ仲間の話ではセットを組む鉄管をひたすらシンナーで拭いて綺麗にして、
またコンサートのために出荷する、というバイトも聞いたことがある。
世の中のどんな華やかなものにも、その裏で多くのひとが真剣に、
(僕はまったく真剣じゃなかったが)
その日を生きるために働いた痕跡が、必ずある。

青函トンネルを作る話を2時間20分延々とやる、『海峡』という映画を観た。
ドラマとしてはよくある起承転結ではなく、起伏が少ない分面白くないかもしれないが、
随所に見せる高倉健の仕草や、電報をうけとったあとの動き、歩くときの目の芝居。
すべてにおいて刺さるものがある。
吉永小百合と高倉健のドラマは、凄く深かったように思う。

冬の北日本の描き方が素晴しい。
僕が生まれる前とはいってもたった30年くらい前の映画にも関わらず、
まるで外国みたいな、異国のような絵がそこにある。

高倉健はこの映画の冒頭は36歳の設定で、
そこから20数年を経て物語は完結していく。
とにかく、掘る、掘る、掘り続けるだけの映画だが、
この映画を見ていて、20歳の頃を思い出した。

青函トンネルを掘ったひとたちは、この仕事を愛していたんだろうか。
今のように潤沢な技術があるわけでもないなか、
あれだけの死者を出しながら、人生の大半を犠牲にしながら。
でも、その先にある、それこそトンネルを抜けた先の光を見たときの、
高倉健の顔を忘れることはできない。
一切の妥協もしなかった、本当に頑張った、諦めなかったひとしか、見られない光。

これから先何をやりたいか分からない若者は、現代にどれだけいるだろう。
僕なんかはそれをいけないこととは思わない。若者を責める気持ちはない。
もしそうだとしたら、やるべきことが見えないような社会を生みだしたひとたちが悪いンだから。
好きなことを見つけなさい、とはよく言うけれど、それに縛られてはいないか。
「好き」の本当の意味が解るのは、もっと先でもいい、焦らなくていいと思う。
生きるだけ生きてみるしかないじゃないか。

高倉健だって、俳優の仕事は好きだったはずだけど、
『海峡』に限らず、死ぬほど寒いところで、どれだけ苦しい思いをしても、たくさんの名作を撮った。
独立する前、プログラムピクチャーに出まくっていたときも、生きるために必死にやったというけど、
きっと辛くもあったんじゃないかと思う。でもやり切った。やり続けた。

苦しいからこそ、嫌いなことに挑めることこそが、本当の「好き」なのかもしれない。
好きとか、嫌いとか、そういうものを超越した、シゴトへの考え方がきっとある。
プロとは何か。
人生で成し遂げるべきことは何か。
これからも考えていこう。

では、また。
ひとは誰にでも、いつか渡らなきゃいけない海峡がある。



海峡
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