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ON AIR#445 ~周防正行監督作品 「それでもボクはやってない」~

映画
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前回の更新の続きですが、僕に触られた後輩男子が、僕の手を掴み、すぐに交番に届け出ればその時点で僕はお縄。私人による現行犯逮捕ってやつですね。

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それでもボクはやってない(2007)

この映画を観るほんの少し前に、「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」という本を読んでいたので、裁判に対する知識はざっとながら得ていた。僕はまだ傍聴をしたことがないが、この映画は、かなり裁判そのものという前評価が高いため、映画で傍聴を経験したようなものなのかもしれない。

若干長い映画だが、物語はいたって単純だ。主人公、金子徹平が痴漢で捕まって、それを否認して、結果的に判決が下されるまでの一年間を、ダイジェストで、ドキュメンタリータッチで描いている。
この映画で、主人公が、映画でよくある「人生の中で大切な何か」を手にすることはない。役所広司演じる弁護士が裁判を通して、主人公に影響されて、生き方が180度変わるというドラマも、ない。登場人物たちの信念は最初から最後まで、まったくといっていいほど変わらない。

悪役、善玉という安易なカテゴリーも、当然ながら存在しない。映画の場合、冤罪で捕まった犯人を擁護したい気持ちに駆られるのが定番だが、周防監督はそれすらも許さない。主人公たちは無罪立証に燃えるが、事件の真相は最後まで語られない。冒頭から主人公は警察にとっ捕まっている。
つまり、主人公の捕まるまでの一番リアルな過程を、周防監督は脚本に書くことをしなかったのだ。全ては本人にとっての回想、警察の主張する罪状の表現を映像にしたに過ぎない。主人公が犯人であるかないかは、最後まで明らかにしないのである。

では、冤罪を描く、という、この映画の理屈とは違うではないかと思う人もいるかもしれない。

しかし、違うのだ。監督がこの作品で描きたかったのは、本来は冤罪ではなく、「裁判」である。もっと踏み込んで言えば、日本の裁判のシステムが抱える致命的な落度が確実に存在するということなのだ。
だから、冤罪によって、揺れ動く主人公の心のドラマは極力表現されない。この映画を観て感じたのは、「犯人だろうと、違おうと、有罪になるように設定された法廷があってたまるか」という、周防監督の叫びが、ノンストップで、声が枯れることなく、続いていたことだけだ。

嘆くべきことに、我々の知らぬ所で、こうした誤ったシステムは、どこかできっと存在する。無関心が、何よりもの敵とはよく言ったもので、今話題の憲法問題や、少し前に日本を賑わせた郵政民営化なども、テレビに映ってるうちに知ろうとしなければ、きっと自分の首を絞めることになるのだろう。

この映画は、見えないところで行われている間違いに気づかない、僕らに対する警鐘、なのかもしれない。
どんなに頑張っても、過ちは犯されていくが、それでも、それでもボクは、闘い続けることができるのだろうか。
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