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ON AIR#3440 “SULLY(2016)”

巡回公演、24ステージ目。
岩手県は盛岡市にて。
まだまだ、まだまだなんです。



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作品に登場する主要人物は、トム・ハンクス演じる主人公の機長と、アーロン・エッカート演じる副機長、
それとローラ・リニーの演じる機長の奥さん、くらいである。
しかも機長とその奥さんにいたっては、私の記憶する限り、劇中で一度も顔を合わせていない。会話は常に電話でのやりとりだけだ。
家族間での会話がほとんどないところに、この映画の面白さがあって、主人公の孤独感が掻き立てられる面白さがあるのだけど、
面白いのはそこだけではなくて、
主要人物がほとんどいないからこそ、場面場面で散りばめられているたくさんの一般人(乗客や客室乗務員、管制塔のスタッフ)を演じるが際立たせられてる。
むしろイーストウッドが描きたかったのは、トム・ハンクスやアーロン・エッカートじゃなくて、あの事件に巻き込まれた名もなきひとたちだったのではないかとすら思うのだ。
そこには、なんでもないひとたちのふとした優しさや強さ、生きることへの希望みたいなものが、たくさん詰め込まれている。たった数秒のやりとりに、ぐわっと涙腺を刺激される。

この映画は実際の飛行機事故を題材にしているとはいえ、それにしてもストーリー自体はほんとうにシンプルだ。
ひとりの機長をめぐるメディアの動き、機長の回想だけで語られる100分ほどの物語。
もちろん隕石も落下しなければ、男女の入れ替わりもないし、巨大生物も出てこない。
なのに、ここまでどんな映画よりも映画らしく、凛として立っている印象がある。
映画的要素が少なくても、確かな見せるべきものがあるから、感情が動く、ドラマとして成立する。
ラストシーンで、その核となる科白があるから、かっこいいんだよね。

極限状況のなかで、人間に何ができるか、できることの限界はあるのか。
この映画は実話が基だからフィクションとは言い切れないけれど、
フィクションが、現実における極限状況のシミュレーションであるということは、
とある政治家も語っていた通りだと思う。
それでも、フィクションさえも超えてしまうような極限状況は、いともたやすく訪れる。
この映画を見て思ったのは、起きてしまったことの責任追及をすることだけがすべてではないってことかなあ。
これは本当に難しいことなんだけれどね。
本当に良いヤツもいなければ、本当に悪いヤツもいないのに、誰かを英雄に仕立て上げたり、誰かを戦犯にするばかりだから。


誰もが後出しでシミュレーションして、誰かを責め立てるけど、
じゃあ、あなたはそこに立たされたとき、何をできるんだい?
あのとき、誰ならたくさんのひとや、住処を救い、守れたんだろう?


重要なことは何か、この映画が語っているような気がするよ。
では、また。
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