avatar image

ON AIR#2937 “Jersey Boys(2014)”

どうも昔から、某映画雑誌における映画批評家、評論家の盲目的なイーストウッド信仰が好きではない。
イーストウッドというだけで☆を無限につけようかという狂信ぶりである。
なぜそこまで?
誰の監督作品にも傑作もあれば、そうでもない映画が必ずあるはずだ。
私自身、批評家たちがこぞって最高傑作と評する『グラン・トリノ』は苦手だ。
もちろん、書いてる人たちはリアルタイムでイーストウッドの映画を若いころから見てきた御仁たちなのは百も承知だけれど、いくらなんでも読者に不親切ではないか。もっと真剣に、評価してくれよ、と。

そんなことを思いながら観に行ったのだが、今回、冒頭から中盤にかけて、本当にこれ、面白くなるのかな、といきなり思った。
なんだこれは。
なかなかこのやさぐれた田舎っぽい男たち、前進する気配を見せないのである。つい「いま、私の観ているこれは、本当に『ジャージー・ボーイズ』で合ってるんだよね?」と不安になる。

だが、フォー・シーズンズの結成、そして徐々にフランキー・ヴァリの葛藤といったところに焦点があてられると、その物語は一気にその骨を見せつけてくる。成功と犠牲、凋落と復活。人生の意味を再生させる、とてもシンプルなサクセスもの、あるいは人間ドラマと言っていいだろう。
原作は舞台ということだが、映像としてもそのパフォーマンス、音楽には圧倒される。とくにフォー・シーズンズとしてデビューしてからの怒涛のパフォーマンスは、私自身、魅了されたし、パフォームすることを勉強している者は驚いたはずだろう。

グループとしての物語がダイナミックに観客を心酔させる一方、もったいないなと思うのは、やはりフランキーとその娘のシークエンスだろうか。家族との時間を犠牲にし、妻との別れ、最愛の娘のひとりに、人生の素晴らしさ、哀しさを語る父。それはそれで、それなりに感動できるのだが、複数の娘がいる中でなぜ歌手を目指した娘ひとりだけに固執するのかも説明不足だし、その娘がドラッグで唐突に死ぬのも、実際にあったコトとはいえ、ややドラマの流れが強引だという印象があった。そもそも、デビュー当時から煙草を吸っていたフランキーが、なぜ娘にいきなり「歌手になるなら煙草はやめることだ」と言えるのか。ただの科白ではあるにせよ、あまりにも説得力に欠けるものになってしまっている。

フォー・シーズンズの成功と犠牲、フランキー自身の成功と犠牲の割合が、うまく調和されてないように感じる。
原作舞台のことは寡聞にして知らないが、もっとフランキー・ヴァリ自身の生きざまに焦点を当てるべきではなかっただろうか。
家族をとことんまで犠牲にしてきた主人公が、歌手を目指していた最愛の娘を喪い、初めてあのフランキー・ヴァリ屈指の名曲を歌う……。あのクライマックスにもっともっと涙できる鍵が、前半、中盤にたくさん転がっていたはずなのだが、回収しきれなかった。

しかしながら、クリント・イーストウッドの映像における演出力、想像力は、やはり唯一無二だなと感じる。
映像のあのざらついた感じを見ているだけで、「イーストウッドだな」、という感覚になる。それがまたクセになるほど心地よい。
クライマックスから、ラストシーンまでは、これぞ映画、という感じ。
脚本云々を超越した映画としての力をこれでもかと観客にたたきつける。
銀幕に手を伸ばせば、ブロードウェイの熱気が、すぐそこにあるような……。

そんなきらびやかな映画が、ここにある。
男たちの映画。
まさに、『ジャージー・ボーイズ』なのだ。


jerseyboys_1.jpg




♪ Can't Take My Eyes Off You - Frankie Valli
スポンサーサイト

Comment

Leave a Reply





管理者にだけ表示を許可する

Trackback