ON AIR#2770 “Alfredo and Toto”

このあいだ、初めて映画館でのオールナイトに行ってきた。
たまたま近くでやっていたので、映画好きであるなら一度は経験してみたいなと思い、足を運んだのだった。

その映画館でオールナイトをやるのは、この日が初めてだったらしく、とても多くのお客さんがつめかけていて、私もついわくわくしてしまった。
とにかくコーヒーを持参で準備は完了。なにせ仕事から帰ってほとんどその足で行ったようなものなので、ちゃんと起きていられるか不安だったのだ。
しかし、やっぱり良い映画は良い。暗い劇場のなかで皆が笑い、涙し……三本すべての上映が終了し、清々しい気分で映画館を出たときには、もうとっくに白んで明るくなった朝の街があった。私が出演した舞台の科白にもあるが、良い映画を観たあと映画館を出ると、街の風景がちょっぴり変わって見える。それは本当に本当なのだ。

ラインナップにあった映画はすべてフィルム上映だった。
最近ではなかなかフィルム上映で映画を観られる機会はないと思う。デジタルシネマ機によって映し出される昨今の映画はとても映像が鮮明できれいで、文字通り大きなテレビを視ている感覚になる。
久々にフィルム上映を観、その淡くて揺れていて、ろうそくに灯る炎のような映像の世界。まさに私が愛してきた映画館の思い出そのままで、予備校の授業をまるまるサボって、大宮だか深谷の映画館で時間を潰していた十八歳のころを思い出した。
もちろんデジタル上映が世の中の趨勢である。もちろん、デジタルになってよくなったことはたくさんあるし、「フィルムなんて、結局は味わいだけでしょ」と云われてもそれはごもっともなことではあるけれど、やっぱり、漠然とした、「文化は財産だ」といういかにも日本人的なくだらない願いが、私の心の中に生きている。

地方の映画館が次々と閉館している原因のひとつとして、フィルム上映でやってきた映画館が、デジタルシネマ機を導入する資金がないということもある。幸い導入できた劇場でも、いわゆる誰もが知るメジャーな映画を積極的にとりいれなければ存続できない状況だ。なかなかミニシアターらしい挑戦はできていない。それならシネコンに行ったほうが楽しいだろう、便利だし、ということで、地方の映画館では、軒並みそういうスパイラルが延々と続いているような気がしている。

そして映写技師という職業はかたっぱしから消え去ろうとしている。私の友人・知人にも何人かいる。
幸い、映画に関わるスタッフとしていまも仕事を続けているみたいだけれど、百年以上を誇る映画の歴史の中で起きたこの急進的な映画提供の変革は、そういう事態ももたらしていることも、知っておかないといけない。

私は、巡回公演で地方に行くとき、街の映画館に行くのが好きだ。
これまで何館かそういう映画館で時間を過ごしてきたけれど、シネコンだろうがミニシアターだろうが、ひとの集う場所のエネルギーというものに、身体を満たされる瞬間が何度もあった。
時代は多様的に変われども、それだけは固く動かない。
映画を成立させうるものは、結局のところ、ひとだからだ。

オールナイトをやってくれた東京の映画館は、今月もオールナイトの上映を予定している。
さまざまな映画が集まるこの大都市から、映画の愛し方、表現方法を、発信していていければいいね。

そして私も、微力でもその手助けができればいいなと思っている。



最後に参考にした文章などが記載されているページをアップしておく。
『フィルムの味わいを 名画座でオールナイト上映会』 (朝日新聞デジタルより)
『クローズアップ現代  フィルム映画の灯を守りたい』 (NHKオンラインより)
『デジタル上映とフィルム上映ではフィルム上映のほうが温かみがある?』 (Yahoo! JAPAN 知恵袋より)
『デジタル上映は手抜き』 (午前十時の映画祭 『映画祭について』 みんなのこえ より)

では、また。





その十八歳くらいのときに観て以来、長いこと観ていないのだが、あのラストをもう一度観たくなってきた。
十年ぶりに観たら、また何かを知り、覚えるかもしれない。

村を出ろ。ここにいると自分が世界の中心だと感じる。何もかも不変だと感じる。今のお前は私より盲目だ。人生はお前が観た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。帰って来るな。私達を忘れろ。手紙も書くな。郷愁に惑わされるな。我慢出来ずに帰って来ても、私の家には迎えてやらない。分かったか。自分のすることを愛せ。子供の時、映写室を愛したように――『ニュー・シネマ・パラダイス』より

Ennio Morricone - Cinema Paradiso
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