ON AIR#2563 Royal Rumble 2013

再び、ロイヤルランブルの季節がやってきた。
現地では1月27日、日本時間でいうと、28日の午前中に開催される。
ロイヤルランブルというのは、アメリカの人気プロレス団体、WWEが毎年一月に開催する特別番組で、
主要王座戦のほかに、メインイベントとして、ロイヤルランブルというバトルロイヤルマッチが行われる。
参加レスラーの人数は団体に所属する選りすぐりの30人。
最初の二人を筆頭に、約1分~3分間隔でレスラーが追加入場していく。
プロレスでよくあるフォールしてスリーカウント、またはタップアウト(ギブアップ)で勝負が決まるわけではなく、
対戦相手をトップロープ越し(ミドルロープではダメ)に退場させていくことで生き残っていき、最終的にリング上に立っていた者が優勝。
優勝者には、WWE最大の特別番組であり大会であるレッスルマニアのメインイベントで王座戦に挑戦者として出場する権利を得る……。

もっとも、近年では「メインイベント」ではなくなってきているのだが……って、
ええええいめんどくさい。

この動画を見て学んでくれ!!




……過酷なマッチである。
もちろん、入場する順番があとになればなるほど有利ではあるが、とにかく長い時間、戦い続けなくてはいけない。
私がWWEというプロレス団体を好きになったのは、このロイヤルランブルがきっかけであった。
皆がたったひとつの挑戦権を賭けてリング上で激しい攻防を繰り広げる。
相手をリングから追い出す、シンプルなルールを最大限に利用した演出。
プロレスの常識とはかけ離れたショーマンシップが、そこにあったからである。
別にリングの上で戦いたいという欲求を抱いたわけではないが、
彼らはとても輝いていて、華々しい世界に憧れを抱かずにはいられなかった。

思えば私がいま、舞台に立っているのは、こうしたプロレス体験があったからではないか。
もちろん、番組の看板スターであり続けるには並大抵の努力ではいかないだろう。
これは数々のドキュメントを見ていて知った。
「ビヨンド・ザ・マット」というドキュメンタリー映画なんて傑作だと思う。
よかったらTSUTAYAで借りて見てほしい。
プロレスなんて所詮ヤラセじゃん、なんて言えなくはずだから。

私にWWEを教えてくれたのは、中学三年のときのクラスの友達の男子数人であった。
地域のケーブルテレビでWWEを知った誰かが、学校で話題にしたのだった。

しかも彼らは、なんと教室で話すだけでは飽き足らず、自習の時間に教室のテレビを勝手に使って、WWEを流しやがったのである。
奇しくも、それがロイヤルランブルのビデオだった。

当時WWEはいまとは比べものにならないような過激路線を突っ走っていた。
パンティ、ブラ、ビキニ。とにかくエロい。
(正直、親のいない部屋でお世話になったことがある。それくらいナイスバディな女性レスラーがいたのだ)
毎週、流血、有刺鉄線、画鋲、流血は当たり前。
(オースチンが一番流してた気がする)

想像して欲しい、そんな映像が大音量で流れている昼下がりの中学校の教室を。
女子は全員、引いていた。


いっぽう。
私は一瞬でハマってしまった。
目を輝かせて観入り、ケーブルテレビで毎週観戦した。

それから13年近く、WWEのファンである。
なんせ私は、あのジョン・シナのWWEデビュー戦を観ているんだからね。
おそらくだと思うが、そのときの彼らは、もう誰ひとりWWEを観てはいない。
少なくとも、私の成人式の時点では、もう誰もWWEを観ている友達はいなかった。
WWEの話題をふったら、きょとんとされたときはちょっとショックだった。
おい、教えてくれたの、おまえらじゃん!!


人はときに面白いくらい、情熱をささげてきたものを捨てていく。
んー、情熱と言ったらおおげさかもしれない。
なんというか、好きだった記憶をすっかり忘れてしまうときがある。
初恋のひとの魅力も忘れてしまえば、好きだったはずのバンドも、なんで好きだったか解らなくなる。

BON JOVIはいまでも大好きなバンドで聴いているが、そのきっかけをくれたBON JOVIのアルバムを初めて貸してくれた友達は、
「もうBON JOVIなんて古いし聴かないよ。いまは断然ガガっしょ」
と言っていた。

でもまぁ、自分もそうかもしれない。
高校時代、グラビアアイドルでタレントの乙葉さんが大好きだったが、彼女の結婚を機に、熱が冷めていった。
(今でも、たまにナレーションの仕事をしていて、声を聞くとちょっと嬉しくはなるが)

人間は、忘却によって、頭のなかに新しい何かを吸収する余裕を作っていく。
何かを好きになれば、その分の何かを忘れていってしまう。
もう『家政婦のミタ』の記憶は薄れ始め、『最高の離婚』とか『夜行観覧車』が話題になっている。
考えてみてばそれが普通である。
たくさんのものを抱え続けてはいられない。どんどん脳内の荷物を捨てていかなければ、体だって持たないだろう。
わかってはいるが、ちょっと寂しくはある。
好きだったものを忘れてしまうことは、お互いにとって、切ないものだ。

乙葉ファンを辞めた自分だが、いっぽうで持続しているものも多い。

WWEは今でも日本公演があれば行く。
B'zはいまでもファンでライブに行く。
ギターもいつの間にか十年続けている。
四年聴き続けているラジオ番組がある。
同じ劇団に三年以上所属している。
21歳のころから大好きな×××がいる。
××××だって一週間に2回は確実にしているし、
××××はいまでも×××ナンバーワンだ。
映画なんて物心ついたときから観続けているぞ。
(×の約80%は下ネタです)

自分には何の才能なんてないと思っていたけれど、
もしかして「好き」を「続ける」才能は、けっこうあるんじゃないか?
ブームや全盛期をとうに去ってしまったものでも、なぜか自分だけ忘れてなかったりして、
他人に驚かれたりする。

そういえば依然、舞台の当日パンフで「自分に隠された才能は?」というアンケートがあり、
わからなかったので母にメールで訊いてみたら、
「一度好きになったらとことんやる」
と返ってきた。

……うん、これは才能ってことにしちゃおう。そうしよう!




ちなみに。
その母のメールにはデコメでハングル語が使われていた。
「がんばれ」という意味らしい。
そんな母は、「冬ソナ」にハマって以来ずーっと韓流ドラマの鑑賞とハングル語の勉強を毎日欠かさない。
一番継続の才能があるのは、ほかでもない母なのかもしれない。


今日もだらだらと書いてしまった。
そんな当ブログも、今年の五月で丸八年になります。
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