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2008.10.29 (Wed)

ON AIR#1019 告発のとき(2007 アメリカ 121分 10/27 飯田橋 ギンレイホールにて)

告発のとき
・ポール・ハギスという、もとは脚本家の人が撮った作品ですけど、
なんかね、面白いんだけど、悪い意味で脚本家が撮った映画だな、という印象。
台詞から、伏線まで、パターンの中で埋没しているというか。
こんなこと、いまや偉大な脚本家の一人であるポール・ハギスにいうことじゃないのかもしれないけど。

・これはシナリオ論的な話になるけれど、
結局、謎を解明する手段は回想でしかないんだろうか。
真相を暴く瞬間にパッと回想シーンが登場したとき、僕は違和感を覚えたのだ。
この話は、アメリカが背を向けたという事件の謎を解き明かしていくことで進む物語だが、クライマックスぎりぎりまで、真相はわからない。
むしろ、事実が途中で分かっても、あえて憶測から推理という手段によって、本当のところは観客に見せない。この話は「事実」と「真相」をあくまで区別していて、そこがこの映画の肝だったはずだ。
それが、回想という手段によって、どこかパターン化されたストーリーテリングだと感じざるをえなかった。なんと表現したらいいだろうか、クライマックスからラストシーンまで、やり方が二時間ドラマになってしまっていた、とでもいえばいいだろうか。

・回想によって、観客に真実を話しても、おそらく、トミー・リー・ジョーンズ演じる父親には、真実を知らせていない。あくまで、話を人から全て聞いただけである。
この時点で、観客と、父親の間には、ある絶対的な壁で断絶されて、観客が父親の心に入り込む隙を与えないという結果に、望まずながらなってしまっているのだ。

・確かに面白いし、骨の太い作品ではある。だが、二転三転する証言者からの説明に振り回されていくあたりからは、一人の元軍事関係者が真実を暴いていくことだけに拘泥し、息子を持つ一人の父親の悲しみであるとか、アメリカ社会の矛盾に対する言及であるとか、そして言及することで感じる戸惑いと怒りであるとか……それを演技で表現しようとしたトミー・リー・ジョーンズの存在が薄くなってしまっていた。

・ポール・ハギス、ここまで作るなら、アメリカ批判映画ではなく、反米の映画でも作ってみればいいんだよな。
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